小包中納言物語 - AS Loves Insects -

2Eギフテッドな蟲愛づる娘のホームエデュケーション

校長次第

市外へ転出するための最後の詰めの協議に夫婦で教育相談に行ってきた。

残り数回の面談しか許されない相談員さんも、幼稚園の頃から関わってくれているのでどこか名残惜しそうである。しかし相手はお役所。そんなスタッフの想いをよそに、税務や教育課が絡むと、越境してまで今後も相談に応じてくれるほど甘くはないようだ。

 

帰り際、ふと、3月で定年退職された、娘の小学校時代の校長先生の現在をご存知か、相談員さんに訪ねてみた。すると意外にも「春からこちらの適応指導教室に勤務されてますよ」とのお返事。ここは市の家庭支援関連部署の複合施設である。毎月、ニアミスしていたのだ。

 

 

思い起こせば、完全不登校からの引きこもりだった娘が、タクシーやコミュニティバス限定で外出できるようになり、最初に見つけた居場所がここの適応指導教室だった。おそらく校長経験者であろう担当スタッフが、娘の止めどなく他愛のないお話にいつも耳を傾けてくれて、徐々に娘も心を開いて行った。

ところがその後、威厳と風格のある男性の校長経験者が娘の担当になると、娘の足は遠のいた。聞けば、ルームには受験生もいるんだから、おしゃべりしてないで静かに教科書をまとめたり、消しゴムをいじらないでドリルに取り組みなさい、とまさしく学校への「適応指導」に方針転換されてしまったのだそうだ。

 

これを知った当時の校長先生は、教育相談室に電凸して「あの子には安心して受け入れてもらえる居場所が必要なんです!そのルームはそのためにあるんじゃないんですか?」と強く訴えてくれたが、「議論は平行線でした、私の力不足です」と校長室面談の折に頭を下げられた。

その後、学校側が図工室登校という居場所を提案してくれて、ホームエデュケーションとしての図書館通いも、担任・管理職含めて喜んでくれた。

 

しかし我が家はレアケースなのかもしれない。「合理的配慮も結局は校長の裁量次第」と私が日頃から主張するのも、各地から寄せられる多くの事例報告による。

 

結局、娘は卒業式にも参加できなかったが、式典後、遅れて登校してきた娘一人のために、校長先生以下体育館に再結集して、壇上で卒業証書を確かに授与して下さった。入院中で参列できなかった私のスマホにも、記念写真が何枚も送られてきた。私も退院したらご挨拶に伺おうと心に決めた。

しかし、4月1日の地方面に掲載された公立学校教員の異動一覧には、新しい校長の名前が記されていた。

一方で、お世話になった前任の校長先生の名前も赴任先も、どこを探しても見当たらなかった。職員室に電話すると、定年退職だという。つまり娘は、校長先生が生涯で最後に卒業証書を授与した卒業生だった。それを踏まえた上で、あの、娘一人だけの卒業式だったのだ。

 

校長先生の連絡先も知りたかったが、そこは個人情報の取り扱いに過敏なご時世、ご自宅の連絡先まで聞き出すのは憚られた。数々の配慮への感謝も御礼もお伝えできず、私は不義理を果たしてしまったのだ。

 

そんな、心の底が燻っていた半年間を想い返しているうちに、相談員さんに案内されて適応指導教室に着くと、そこには、いまだに未熟なこの保護者を、あのキラキラした笑顔で変わらず迎えてくれる校長先生がいた。義理を果たせたこともそうだが、再会できたことがただ純粋に嬉しかった。

帰り際、一つ聞き忘れたのが、適応指導教室への勤務はご自身で志願なさったのか、それとも役所の配属か。

いずれにせよ、現在の適応指導教室が、かつての娘のような子の居場所になっていることは確かだろう。それが証拠に、娘の中学で不登校になって以来音沙汰のなかった子の、楽しそうな姿が垣間見えた。

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