小包中納言物語 - AS Loves Insects -

2Eギフテッドな蟲愛づる娘のホームエデュケーション

親になって40過ぎても学び続ける本当の理由

前回の記事では、費用的にも時間的にも余裕のない子育て中のロスジェネ世代が大学で学ぼうとする際、コスパ的に放送大学が第一選択となり得ることをご紹介しました。

insects.hateblo.jp

とはいえ、かくいう私もいざ勉強するとなると、本来業務と育児・家事のフォローとの僅かなスキマ時間を活用するしかありません。図書館では娘の横で印刷教材を読み込んだり、家では居間のテレビで放送授業を受講したり、40過ぎて記憶力も理解力も下り坂になってきたのを実感しながら必死に喰らいついていく日々です。 そんな父親の姿を前にして、娘もあれこれ質問してきます。

「ねえパパ、それ何の勉強?」

「ねえパパ、それ面白い?」 

こうした質問に対して、勉強の内容を問われれば、その科目のあらましを平易なことばに変換して正面から答えますし、面白いかと問われれば、興味が尽きない科目はその面白さを、ハズレの科目は履修して後悔してる旨、正直に答えます。*1

ただ、娘からは上記のように勉強の「内容」や「目的」、「面白いか否か」を尋ねられることはあっても、「なんで勉強しなきゃいけないの?」という類の質問をされた記憶がありません。恐らく娘自身、ある程度勉強する理由が明確になっていることもあるかと思いますが、次のような指摘もあります。

子供に「何で勉強するの?」と聞かれたら、どう答えますか? | シンプルライフ

「なんで(お父さんお母さんはやらないで俺だけ)勉強するの?」という質問なんだよなこれ。つまり一番の正解は自分が勉強してる姿を見せること

2014/06/02 21:56
子供に「何で勉強するの?」と聞かれたら、どう答えますか? | シンプルライフ

親がいつも何かを学んでいたら子供からそんなこと聞かれないですよ

2014/06/02 20:31

昔から「子は親の鏡」と言われる通り、つまりは親の学問に対する日頃の姿勢なり行動なりを子どもは模倣するのだという意見です。このようなコメントが上記のように複数寄せられ賛同を得ているという事実は、多くの人が同様の経験なり感覚を共有している普遍的な傾向であることを示唆しています。

実際、そうした直感を裏付けるような先行研究もあります。

 

本がたくさんある家の子どもは試験の点数が高い

かつてアメリカ教育省は、子どもの成績と、親や家庭環境の様々な要素との関連について、大規模な調査を行った。その結果、子どもの試験の点数と強い相関を示す要素として浮かび上がったのは…
  • 親の教育水準が高い。
  • 親の社会・経済的地位が高い。
  そして、
  • 家に本がたくさんある。
など8つの要素であることが判明した

──シカゴ大学の経済学者スティーヴン・レヴィットによるベストセラー『ヤバい経済学』には、こんな興味深い研究が紹介されています。*2 このうち、前の2つの要素には遺伝的な背景が読み取れそうですが、「家に本がある」という要素だけで子どもの成績が上がるとしたら、とにかく本を買い与えれば良いのではないか?と考えてしまうのが人情でしょう。

ここからがアメリカの面白いところで、2004年にイリノイ州の知事が「州内に住む子ども全員に毎月1冊ずつ本を送る」という計画を発表したそうです。実際には議会で否決されてしまったので、壮大な社会実験には至らなかったのですが、日本でも経済的に余裕のあるご家庭の親御さんは一度試してみると良いのではないでしょうか。

ところが、ここでひとつ注意が必要です。「家庭に本がたくさんある」要素と「子どもの試験の点数が高い」という要素は、あくまで強い相関関係がみられただけで、因果関係があるとまでは言っていないという点です。

趣味や仕事で多くの本を必要とするような親は必然的に学生時代には水準の高い教育を受けていたでしょうし、多くの本を購入できるような経済的余裕のある親なら相応の学歴を経由してその仕事につけているのかもしれません。レビット教授と共著者のダブナー記者も、次のように推理しています。「子供にたくさん本を買う親御さんは、そもそも賢くていい教育を受けている可能性が高い……本は本当は、知恵をくれるものじゃなくて知恵を映すものなのだ」と。

では、教育水準も社会的・経済的地位も高くない親のもとに生まれた子どもは、高学歴・高収入の家庭に比べて、この先どんなに努力しようとも試験の成績は上がる見込みもなく、優れた高等教育を受けられる可能性は閉ざされてしまっているのでしょうか。事実はどうあれ、心情的なレベルで、そうは認めたくない自分がいます。

それに、そもそも学歴は決して中卒・高卒時点での進路選択によって固定化されるものではなく、社会人経験を経てからでも、親になって40過ぎてからでも、後からいくらでも放送大学その他で学士以上の学位を取得することは可能です。タテマエ論でなく、私のフォローさんたちも実体験から証言しておられます。

 

そもそも、4年間遊び呆けてても教授を拝み倒せば温情で単位をもらえるレジャーランドならいざしらず、大学で学ぶということは本来、単なる過去の経歴として履歴書に記入する学歴のためではありません。大学で得られるべき知識とは、ビジネス書や自己啓発書にありがちな単なる個人の思い込みや、延々とスマホを縦スクロールして得られるような情報とは全く異なる性質の知識であるはずです。

 

教養主義2017

ググればいくらでもヒットする類の情報ではなく、幅広い学問領域の伝統と確固とした方法論に依拠した体系的な知識、すなわち教養を身につけられる──これこそが放送大学その他の高等教育によって得られる、最大のメリットなのではないでしょうか。

かつて旧制高校新制大学の教養部では、デカンショに代表されるような古典を岩波文庫でひと通り読んでおくのが学生の嗜みだという前提があったそうです。これが高度成長期から学生運動の退潮期を経て、バブル経済の絶頂期には既に「教養」など過去の遺物として忘れ去られていた感があります。

今になって振り返ってみると、私たちが生まれ育った70年代~90年代は、受験戦争が激化する反面、社会には一貫して「反教養主義」とでもいうべき雰囲気が充満していたように思います。 経済が右肩上がりで産業構造も固定化し、「遅れず休まず働かず」でも年功序列で所得が増えていった年長世代にとっては、あるいは「教養」なんぞ生きていくのに邪魔な観念だったのかもしれません。

しかし、どうやら従来の生き方モデルがもはや通用しないらしいぞとみんなが気付き始めている現代において、仕事の面でも趣味の面でも社会的な要請としても「先人たちの知的営為の蓄積に基づく体系的な知識と方法論」としての教養が、以前にも増して求められているのではないでしょうか。

灘の底力

例えば先日、組織的に同じ文面のはがきを送りつけてくる集団や一部政治家からの圧力に対し、ある校長先生が毅然と対応したことが話題になりました。こうした圧力に唯々諾々と屈服するのか、あるいは逆に平然とシカトできるのか、その差を教養の深さと結びつける意見もあり、個人的には大いに納得したものです。

 ただし、教養ということに限って言えば、何も「私学に行けるお金持ち」だけの占有物などではなく、その名も教養学部教養学科を擁する放送大学などで親が学びつつ、家庭で子どもを教育すれば良いだけのことです。

和田孫博「謂れのない圧力の中で——ある教科書の選定について——」

toi.oups.ac.jp

 

プロ素人

また、教養は専門家や知識人だけのものでもありません。いやむしろ、高度に専門化したタコツボにだけ安住する学者よりも、むしろ普通の人の嗜みとして「教養」を位置づける見方もあります。

ブラタモリ」の面白さには蟲愛づる娘のみならず多くの人が虜になっていますが、彼らは以前の教養主義とはまた違った意味の、現代に相応しい謂わば「新しい教養主義」とも言うべき〈教養人〉の、一つの理想型と言えるかもしれません。そしてこれこそ、経済的・社会的地位にかかわらず、誰でも(子育て中のロスジェネ世代でも)が成り得る〈教養人〉のスタイルなのではないでしょうか。

 

強いアマチュア

ところで、前述の灘中に圧力をかけるような勢力から圧倒的な支持を誇る現政権ですが、そんな安倍政権に対して──特に2015年の安全保障法制の強行採決と前後して──盛んに「反知性主義」というレッテルが貼られることがあります。

しかし、山形浩生が丹念に啓蒙するところによれば、少なくとも反知性主義の発祥の地・アメリカでは、決して否定的な意味ではなく、むしろ「反インテリ主義」とも言うべき積極的な価値観だったようです。*3

大学いって勉強した博士様や学士様がえらいわけじゃない、いやむしろ、そういう人たちは象牙の塔に閉じこもり、現実との接点を失った空理空論にはしり、それなのに下々の連中を見下す。でもそんなのには価値はない。一般の人々にだって、いやかれらのほうがずっと知恵を持っている、という考え方だ。

つまり、安倍政権に対して「バーカ」と言いたいが為に「反知性主義」というレッテルを貼ったとしても、文脈によっては逆に褒め言葉として相手に伝わっている可能性もあるということです。

cruel.hatenablog.com

むしろ憲法学者に反旗を翻し、歴史学の蓄積を修正し、EM菌や親学などのニセ科学を教育現場に持ち込もうとする動きは、本稿でこれまで考えてきた意味での「教養」と真っ向から対立するものです。したがって本当にレッテル貼りを望むなら、「反知性主義」という高尚な価値観などではなく、単なる反教養主義とでも呼ぶべきでしょう。現に、灘中の校長先生が不当な圧力に屈しなかったのも、まさにこの「教養」に拠るところが大きいのですから。

 (ただし、こと経済政策に限れば、その成否は別として、少なくとも「反知性主義」とレッテルを貼りたがる知識人たちよりも、はるかに安倍首相のほうが「教養」があるように見えてしまうのですが…)

 

山形浩生はまた、本人の中心的な専攻分野とはちがうところで優れた活動を展開する人材を「強いアマチュア」と呼び、彼らが活躍するための第一の条件として次のように提言しています。

まずは、アマチュアであっても役に立つにはそれなりの勉強が必要だということだ。

しばしばネット見かけるアマチュア(いや、一般には知見があると思われている評論家ですら)は、百年前にケリのついたトンデモな主張を蒸し返し、それを指摘されると自分はアマチュアなんだから勉強の必要はない、そんなことをあげつらうこと自体が悪意のいやがらせだ、専門家がオレに優しく教えろと平気でふんぞりかえる。

もちろん過度の勉強は逆に、その分野の既存ドグマに取り込まれる結果となり…(略)それでも、自分が思いつく程度のことはだれかがすでに考えているのでは、という意識は必要だ。

ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」 *4

これこそ、2017年の現代に、そして今の子どもたちが成人して社会に出て行く近未来に、求められる〈教養人〉の条件になるのではないか。ならば少しでもお手本になれるよう、まずは親が自ら率先して〈教養人〉たらん、というのが私が親になって40過ぎても学び続ける本当の理由です。

 

References

*1:といっても、自分の感心のある科目だけを選択できるので、後悔する科目は一学期に一コマ程度しかないのですが。

*2:S.D.レヴィット&S.ダブナー『ヤバい経済学 [増補改訂版]』(望月 衛 訳)東洋経済新報社、第5章(2007)。

*3:反知性主義1: ホフスタッター『アメリカの反知性主義』 知識人とは何かを切実に考えた名著 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

*4:ジェイコブズの教訓:強いアマチュアと専門家の共闘とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」